実録もうひとつの箱根駅伝 by親編(大東太郎さん) 2001年1月3日

陸上観戦が好きな方々にはたまらない正月三が日の駅伝大会。私もその類に漏れません。子供が
大きくなるにつれて、対象の大会・力を入れて見る大会が成長と共に違ってきます。それまではただ
漠然とした「箱根駅伝」の熱意をテレビから受けていたに過ぎなかった数年前から、違った意味合い
のもとでそれを観るようになったのは75回大会からでした。順大の優勝の時からでしたね。知らない
選手ばかりが走っている「箱根」。ひいきをする大学もない私にとっては、その当時のスター選手ばか
りに目をとられて、数字ばかり見ていたような気がします。

75回大会は順大が10年ぶりの優勝を遂げた大会、それもアンカーを努めた選手は息子の高校の
陸上部の先輩・宮崎君だったから、もうたいへんな騒ぎ。一気に順大のファンになったものです。それ
から1年・・・、76回大会は大東文化大学を応援。つまり、息子の進む大学が大東文化、接点を受け
たからにはもう大東一本。わたしの大東大びいきはまだ2年目なんですよね、それが大東太郎という
ネームまで使って・・・。実は「大東太郎」というネームは入試の願書に記入例に書いてあった名前を
拝借しているのです。

76回大会の結果は残念の一言。親心としては「もうちょっと頑張ってほしかった」というのが素直な感
想です。でも緊迫した中へ入って揉まれるのも「いいか」と、前向きに子供を送り出しました。親として
は、入部してからは是非とも「箱根へ」と願った時期もありました。夏が終わるころまでその気持ちに
は変わりはなかったように思います。そりゃあ、どの親でも1年目から「箱根」を走る子供の姿を願わ
ない親はいませんから・・・。でもそれは親の欲目。子供にとったら迷惑千万。自分の力量は自分だ
けがよくわかっているわけであって、遠く離れて暮らしている私達には図り知らない世界。こちらの希
望等は慎もうという考えに行き着きました。1年目は身体造りに専念しよう!という考えに落ち着きま
したね。でも、絶えず「箱根」は意識しなさいよ!という「頑張れコール」は続きました。

ある人は言っていますよね。「花の咲かない寒い日は根を下へ下へと這わせろ」と。実際確率からい
うと、上級生になればなるほど出場できる確率は高くなりますが、普段から意識を高くもって、「箱根」
以外でも通用する人間になってほしいと親は欲目を出します。

関東の大学の陸上部に席を置いている彼らは、やはり素直に
「箱根」を目指して毎日がんばっています。
「箱根」だけを目指してがんばっている選手もいます。
「箱根」が通過点と称している選手もいます。
「箱根」だけが駅伝じゃない。と思っている選手もいます。
どれもこれも彼らの生き方であって、まわりが騒ぐことじゃありません。4年間走ってきて「箱根」の夢
が絶たれた選手たちにとっての「箱根」は、その4年間そのものであったと。夢を実現させるが為の、
「箱根」であってもいいんじゃないかと思います。
 
 まあ今回は、付き添いという最前線での立場にいましたし、「箱根」そのものを体感出来たことは、彼
にとって今後プラスになると思います。いやプラスに自分で置き換えてほしいです。親本人の知らない
世界に入り、私自身は競技経験も何も無く、知識は受け売りがほとんどですが、彼はよく聴いてくれま
す。また親はそれに応えようと、日々「陸マガ」や「奈緒子」を愛読書としています。

もうすでに新チームとしてのスタートが始まってます。今年は三大学生駅伝全て参加できるのですね。
親としては、ひとつくらい出てほしいなあと願ってます。