以前、掲示板に書いた文章の中から抜粋したものです。;

D弘山夫妻へ 2000年7月30日(下の文書をメールしたら返事がきました。)

先日のニュースステーションとアスリートという番組を拝見しました。ニュースステーションでは、彼女(ロルーペ)なら両方メダルも可能ではないかと答えられたあと、私も両方やりますって言えばよかったかなと笑いながらつぶやかれていたのが印象に残りました。

 ところで、私が初めて晴美さんのことを知ったのは92年の1500メートルの日本選手権の時です。勉さんの福岡国際マラソンの時もそうでしたがいきなり新星が現れたみたいな感じでした。どうしてこんなに急に強くなられたのか不思議に思ってました。コーチの役割というのは大きいものなんですね。

 また、アスリートを見て思ったのは勉さんて、なんて大人なんだろうということです。なかなかああいう風にはできないです。見習いたいです。

 8月1日のDNガラン5日の英国グランプリで5000mに出場されると聞きましたが練習のほうは順調に進んでますでしょうか?本番のシドニーオリンピックまであと50日程ですが、お二人で力を合わせて納得のいく体調でスタートラインに立たれることをお祈りしております。
 
C京セラ陸上部 2000年7月15日

今日、電撃黒潮隊という番組で京セラ陸上部の特集をやってました。ご存知の方も多いでしょうが、6月末で男子は廃部、女子は京都に移転になったんですが、それまでの様子を永田監督、入船選手、永山選手を中心に紹介してました。会社としてはコスト(年間約4億円)に見合った世界レベルで活躍する選手をめざしてほしいと言ってました。私としてはせめてオリンピックの予選が終わるくらいまで発表をまってほしかったですね。不安定な状況じゃ練習に集中できないですよね。

 結局、監督と永山選手は愛知のデンソーに、入船選手は鐘紡に移籍が決まり、京都に移転する女子選手は2名だけということでした。新天地で頑張ってほしいです。

B伊東浩司選手へ 2000年7月10日

私が最初に伊東浩司さんの名前を記憶したのは、87年に400mで46秒52の高校新記録を出された時です。当時(今もですが)報徳学園といえば長距離(駅伝)というイメージしかなかったので意外な感じを受けたのを覚えています。

 その後バルセロナは残念でしたが、94年は広島アジア大会200mで銀メダル獲得したあと、熊本であったグランプリファイナルで20秒44の日本新記録をだされましたよね。私は熊本出身なのですが、随分昔に豊田敏夫さんという方が20秒6(手動)の日本記録を出されたのも同じ競技場だったので(見てました)その時のことを思いだし、よけい印象に残りました。(今年末續選手が20秒4を出した時も嬉しかったですが)

 けれどその日本新の時に、〔狙いはあくまでもアトランタでの400m〕という記事をみてたので自分の中では伊東選手の専門は400mなんだと思いこんでました。だから、バンコクアジア大会の時には衝撃を受けました。400mをやってた選手が100mで10秒00をだすなんて、私達の常識をはるかに超えてます。驚きでした。

 最後になりますが8日の記録会で10秒27で走られたという記事をみましたが調整のほうは順調に進んでますか?実力を出せる体調で本番のスタートラインにつかれることが出来るよう応援してます。

A太田陽子選手へ 2000年7月6日(掲示板に返事もらいました。)

私が初めて太田陽子さんを見たのは、93年に福岡で開催されたスーパー陸上の時でした。7年も前のことなので、あまり細かいことは覚えていませんが、海外の一流選手も多数出場していて競技場は満員の状態でした。(4万人くらい)競技のほうは16時に開始され21時までありました。

 走り高跳びはナイターでした。照明に照らされて姿がはっきりと映し出されていたのを覚えてます。走り高跳びの場合は走ったり投げたりする競技と違って、これを跳んだら新記録というのがはっきりしているので見ているほうもすごく緊迫感がありました。助走を開始してしばらく続く静けさ。見事にクリアしたあとの観衆の大歓声。陸上の試合で初めて鳥肌が立つという経験をしました。

 この試合で太田さんは今も残る1メートル93センチのジュニア日本記録をクリアしました。なぜか、2メートルを跳んだ外国選手(コスタディノワでしたっけ?)よりもきゃしゃな太田さんのイメージが残ってます。オリンピック代表おめでとうございます。

 それでは、納得のいく体調でオリンピックを迎えてください。電柱の影から応援しています。

@ゴールデンゲームズin延岡観戦記 2000年5月27日(TAKAさんのメルマガ用に作成)

5月27日に以前から楽しみにしていたゴールデンゲームズinのべおか(以下GGN)に初めて行ってきました。天候は残念ながら雨。時折かなり強く降ってました。けれど、天気の事は考えても仕方ないで、まず、売店に行き定番の(?)プログラムとメガホンとTシャツを買い込み、スタンドに行きました。とりあえず、雨に濡れない所に腰掛けて、プログラムのタイムテーブルを見ました。驚きました。中学生の3000mが4組あってそのあとの、5000mのレースが男女合わせて22組もありました。(あとは男子1500mと1万mが1組ずつ)レースの間隔は20分毎。つまりレースが終了して表彰があったらすぐに次のレースが始まる。そんな感じです。また参加標準記録が男子の場合、高校生15分10秒、一般14分40秒と聞いていたので、こんな にもたくさんの選手が参加しているとは思ってもいませんでした。(速い人はけっこう多いんですね。)

  そうこうしているうちに12時30分になり、雨の中レースが始まりました。宗監督の登場です。フィールド内でカッパ(?)を着て実況をされてました。「ペースいいよ〜」とか「〇〇秒切るよ〜」とか「もっと応援して〜」とか。観客の看板をたたく音とあいまってレース自体を盛り上げていたように思います。あれだったら、選手も最初から最後まで気が抜けないと思います。またプログラムには出場選手の自己記録も載っていたんですが、なかには30秒以上も記録更新する選手もいて、この競技会のパワーを感じるとともに、こんな大声援の中で走れる選手がうらやましく思えました。

  次に初観戦で印象に残ったのは、私が今まで観戦した競技会と全く違い、雨の中なのに高齢の方(地元の人でしょう)が多数見に来られていたということです。思わず近くにいた方に「面白いですか?」と聞いてしまいました。(失礼な奴ですね。)「毎年楽しみにしている」みたいな事をおっしゃて、豆(?)の入ったペットボトルをたたいて選手を応援されてました。おらが町の競技会(運動会)という感じを受けました。また、この日一番、観客の声援のボルテージが上がったのは宗副監督の長男・洋和君が14分40秒14の自己新でN組の優勝を飾った時でした。やはり、地元の選手が活躍すると盛り上がりますね。

と、書いたのはメインの男女5000m、男子1万mで日本人選手が優勝できなかったので。。。特に5000mのギタヒ選手、1万mのマイナ選手、どちらも明らかにペースメーカーになって日本選手を引っ張ってくれてたんですが、ついていけなくて。(T_T)(T_T)タイム以上の力の差を感じました。陸連の桜井委員長も来られてましたが、これでは、男子長距離陣のシドニーのフルエントリーは厳しいかもしれません。

  最後の方のレースの結果は残念なものでしたが、個人的にはネット上でしか知らなかった方達にお会いできたし、長距離ファンだらけの中にいられて居心地もよかったです。GGN自体も出場選手のレベルも高く、運営のほうも雨にもかかわらず、観客を飽きさせず、スムーズにおこなわれてました。陸上競技ファンでない人にも見せてあげたい競技会です。陸上競技って面白いです。(再発見)本当に楽しくて有意義な一日でした。来年も必ず延岡に行きます。皆さん、ご一緒しませんか?